活動内容

びっきぃで取り組んでいる演目についてご紹介します!

中野七頭舞(岩手県岩泉町小本 中野地区)

 

今から150年ほど前に生まれた神楽舞の一部で、江戸時代の末頃から明治時代初めにかけて作られたといわれています。五穀豊穣や家内安全、大漁を祈願して踊られています。

七頭舞の語源といわれている七つの道具には「先打ち」「谷地払い」「薙刀」「太刀」「杵」「小鳥」「ササラスリ」があり、これらの道具を使った踊りをお囃子に合わせて踊ります。

踊りの種類も「道具取り」「横跳ね」「チラシ」「戦い」「ツットウツ」「みあし」「道具納め」の七つに分かれています。

躍動感あふれる力強いエネルギーを感じられる舞です。

荒馬(青森県今別町)

 

馬と手綱取りが対となり町内を練り歩きながら激しく踊ります。これは、田植えが終わり、田の神が天に昇る時に、農民が神から受ける加護と感謝の意をこめて踊ったことが始まりとされています。

笛や太鼓からなるお囃子に合わせて、向かい合った手綱取りと馬が踊りだします。次第に暴れだし、手綱が綱を離すとますます荒れ狂います。それを取り巻きながら踊るハネトは「らっせーらー、らっせーらー」「らっせーらっせーらっせーらー」と声をかけながら跳ねまわります。

はねこ踊り(宮城県石巻市桃生町)

 

天明・天保の時代、火災や大凶作、大飢饉に見舞われた人々が、村の守護神八幡様に豊作を祈り続けました。やがて村は豊作に恵まれ、感謝の意をこめて八幡様に神楽を奉納した際に、太鼓や笛とともに飛び跳ねました。それがいつの間にか集団となり、広がっていったのがこの踊りの始まりとされています。踊りは田の神を迎えるための「打ち囃子」、稲作の一連の作業姿を表した「献                   囃子」、神への感謝や厄払い、平穏無事な生活の願望を表す「馬                   鹿囃子」の3つの踊りで構成されています。

三宅島太鼓(東京都伊豆諸島三宅島)

 

祭りの神輿が村内を巡行するとき、それを先導していくものとして披露されます。1820年頃、廻船の揚げ下ろしや山から木材を搬出する時など、大勢で力を合わせるときに歌われていた「木遣り歌」というもの太鼓を取り入れたのが始まりとされ、次第に現在の形になったといわれています。

初めはゆっくり、だんだん盛り上がっていく太鼓に「わっしょい」という威勢のいい掛け声。腰を低く落とし、重心を左右に移動させながら叩くため、一打一打に重みがあります。

ぶちあわせ太鼓(神奈川県三浦半島)

 

もともと海南神社の祭礼のときに使われていたものを舞台用にアレンジした太鼓です。その昔漁師たちが村ごとに大漁を祈り、競い合って太鼓を叩き合ったといわれています。別名「ケンカ太鼓」ともいわれ、勝った方にはその年の大漁が約束され、負けた方は太鼓の皮を破られ海に投げ出されてしまうという言い伝えもあります。

大漁を願う漁師のたくましさ、力強さを全員で力を合わせて表現します。大太鼓の三人が個性を生かしながら叩きあい、一つの太鼓としての「和」を作り上げていきます。

大森御神楽(岩手県奥州市)

 

御神楽は、古事記の神話「天岩戸」の中の「天の岩戸に閉じこもった天照大神が岩戸から出てきたとき、世が光を取り戻し、喜んだ鳥たちが一斉に空に飛び立った」様子を表現したものといわれています。

大森御神楽は昭和45年、岩手県衣川小学校大森分校の教諭であった三好京三氏が、子どもたちに活力や自信、誇りを取り戻してほしいと願って創作されたもので今なお伝承されています。

アクセスカウンター

(since 2015.1.13)

<イベント依頼・質問etc>

 

お問合わせはこちらから